「舟唄」「雨の慕情」などのヒット曲で知られる、
歌手の八代亜紀(やしろあき)さんが
亡くなったという
悲しいニュースが入ってきました。
ご冥福をお祈りいたします。
ハスキーな歌声で「演歌の女王」
としても有名だった八代亜紀さん。
今回は生前の八代亜紀さんの
家族や経歴・学歴をまとめてみました👇
- 八代亜紀の家族
- 八代亜紀の旦那
- 八代亜紀の娘
- 八代亜紀の息子
- 八代亜紀の経歴プロフィール
- 八代亜紀の学歴
八代亜紀さんにご興味のある方は
是非最後までご覧ください!
2024/3/27:八代亜紀お別れ会情報追記いたしました。詳細はこちらから!
八代亜紀の家族は?
八代亜紀さんは離婚して、
その後はお一人で暮らしていたようです。
昨年2023年8月に皮膚炎などの症状があり、
複数の病院を受診、
膠原(こうげん)病と診断され、
療養していました。
入院中は、
復帰を目指しリハビリに励んでいましたが、
12月末容体が急変、
12月30日に急速進行性間質性肺炎で
あの世に旅立たれました。
亡くなる前日までは
会話もしていたという八代亜紀さん。
故人の遺志で葬儀は
事務所のスタッフのみで行われたそうです。
こちら八代亜紀さんの公式サイトからの全文です。
【ファンの皆様ならびに関係者の皆様へ】
平素よりご厚情をいただき心より感謝申し上げます
2023年9月に膠原病の一種であり指定難病である抗MDA5抗体陽性皮膚筋炎と急速進行性間質性肺炎を発症し療養を続けておりました弊社所属の八代亜紀が12月30日に永眠いたしましたことを謹んでご報告申し上げます。
葬儀は八代自身の強い遺志により社スタッフのみで2024年1月8日に執り行いとても穏やかな顔で旅立ちました
一日も早い復帰を目指し治療とリハビリに励んでおりましたが容態の急変により皆様へこのようなご報告をしなければならなくなりましたことは無念でなりません
代弁者として歌を歌い表現者として絵を描くことを愛し続けた人生の中で常に大切にしていた言葉は「ありがとう」でした
「一人では何も出来ない、支えてくれる周りの皆様に感謝を」という父と母からの教えを八代自身は体現し続けて参りました
療養期間中も傍で支えるスタッフや医療従事者の皆様に「みんなありがとう」と感謝を伝え最期まで八代亜紀らしい人柄が滲み出ておりました
これから先いつまでも八代亜紀が命を吹き込んだ作品の数々が沢山の人達に愛され皆様の心の中に生き続けることを八代自身も望んでいると思います
後日にお別れの会を執り行いたいと思っております
詳細については改めてご案内申し上げます
今まで応援してくださったファンの皆様関係者の皆様に心より深く感謝御礼申し上げます
本当にありがとうございました
2024年1月9日
株式会社ミリオン企画
「80歳までステージで歌い、絵も描きたい」と
生涯現役を宣言していた八代亜紀さん。
志半ばで天国に旅立たれました。
八代亜紀の旦那は?
八代亜紀さんは過去に一度結婚歴があります。
1994年に結婚、2021年に離婚しています。
その元旦那は八代亜紀さんの
マネージャーだった増田登さん。
増田登さんは長年、
八代さんのマネジャーを務めており、
前事務所から2人で独立、
個人事務所の代表に就任、
その後結婚しました。
15年来の恋を実らせ、
1994年にゴールインとなります。
この写真はハワイ・オアフ島の
セントラル・ユニオン教会での結婚式。
とても幸せそうですね。
この時八代亜紀さんは初婚で44歳、
増田登さん39歳。
その後2021年にお二人は離婚。
結婚生活27年ということで、
周りにも驚きが起きました。
この離婚で増田登さんは事務所代表も辞任しています。
たしかな離婚原因や理由は公表されていませんが、
巷では旦那さんの増田登さんの不倫という
話が多く取りざたされていました。
訃報を聞き、
増田さんはこのようなコメントを語っています。
「免疫の病気ということで面会謝絶となり、お見舞いに行くこともできませんでした。まれに見る歌の天才で素質を持った歌手と45年もの間、一緒に仕事をしてくることができて大変光栄です。早すぎます」
https://www.sponichi.co.jp/
演歌の女王と言われ、
人々を楽しませていた八代亜紀さん。
プライベートでは色々な事が起こっていたのですね。
八代亜紀の子供(娘・息子)は?
八代亜紀さんに子どもはいません。
2021年の離婚からは、
お一人で暮らしていた八代亜紀さん。
もし子供がいたら、
歌手としてもプライベートにしても、
また違う「八代亜紀」がいたのかもしれませんが・・。
生涯を歌手として全う、
子供よりも歌うことに
全精力を傾けていたのでしょうね。
八代亜紀の経歴プロフィール
- 八代亜紀(やしろ あき)
- 本名 橋本 明代
- 死没 2023年12月30日(73歳没)
- 出身地 熊本県八代市
- ジャンル 演歌、歌謡曲、ジャズ
- 職業 歌手
- 活動期間 1971年 – 2023年
- 事務所 ミリオン企画
八代亜紀さんは浪曲師だった父親に
子守歌で浪曲を聴かされて育ちます。
中学卒業後、
地元熊本のバス会社でバスガイドとして勤務しますが、
歌手の道を志し、
わずか15歳で父親の反対を押し切り、
東京に上京します。
その後、
音楽学院に通って基礎を身に着け、
東京・銀座のクラブ歌手を経て、
71年に「愛は死んでも」でデビューします。
73年に「なみだ恋」が
60万枚以上を売り上げブレーク、
同年のNHK紅白歌合戦に初出場し、
01年まで23回出場、
79、80年出場の際は、
2年連続で大トリを務めました。
その後
「愛の終着駅」
「もう一度逢いたい」
「おんな港町」
「舟唄」など数々のヒット曲を連発、
80年には「雨の慕情」で
第22回日本レコード大賞の大賞を受賞しました。
八代亜紀さんは画家としての才能も発揮、
画家の登竜門とも言われる世界最古の美術展である
フランスの「ル・サロン」で
5年連続入選を果たして永久会員になります。
2010年には、
歌唱技術が認められて文化庁長官表彰を受賞、
芸能生活50周年を迎えた2021年には、
第42回松尾芸能賞大賞を受賞しました。
歌に絵画に非凡な才能を開花させた73年の生涯でした。
八代亜紀の学歴は?
八代亜紀さんの学歴は
八代市立金剛小~八代市立第六中です。
中学卒業後、15歳で上京、歌手を志し、
芸能界の荒波にもまれる八代亜紀さん。
女の子一人での旅立ち、
すごい勇気がいったことでしょうね。
でもそのチャレンジ精神が
晩年まで芸能界で生き残っていく礎だったのだと思われます。
【追記】八代亜紀お別れ会開催
追記
八代亜紀さんのお別れ会が3月26日、
東京・片柳アリーナで営まれました。
ステージ復帰を熱望していた
八代さんの思いをくんで、
最新のAI音声合成技術で再現した声による、
コンサート形式での開催でした。
里見浩太朗さん、研ナオコさん、
小林幸子さん、山本譲二さんなど
生前お付き合いのあった方々が思い出を語り、
約3000人が八代さん
“最後のコンサート”にかけつけました。
2024年他界された著名人、その関係者について
下記の記事でまとめてみました。
よろしければご覧ください。
八代亜紀のまとめ
今回は「八代亜紀の結婚・家族(旦那・子供)や経歴・学歴プロフィールまとめ」と題して調べてみました。
- 八代亜紀は一度1994年に結婚したが、2021年に離婚
- 子供はいず、離婚後は一人で暮らしていた
- 15歳で上京、ハスキーな歌声でファンを魅了、「演歌の女王」と言われた
- 八代亜紀の最終学歴は八代市立第六中
長年歌手として活躍、
画家としても才能を発揮していた八代亜紀さん。
数多くのヒット曲を持ち、
私たちを楽しませていただきました。
八代亜紀さんのご冥福心よりお祈りいたします。
以上、「八代亜紀の結婚・家族(旦那・子供)や経歴・学歴プロフィールまとめ」でした。
最後までご覧頂き誠にありがとうございました。
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