「天才脳外科医」と呼ばれ、
テレビでも何度となく特集された
福島孝徳(ふくしまたかのり)さんが他界されたという
悲しいニュースが入ってきました。
ご冥福をお祈り申し上げます
「ゴッドハンド」との異名を持ち、
世界的脳神経外科医として活躍した福島医師。
今回は生前の福島孝徳さんの
結婚・家族(妻・子供)や
経歴や学歴をまとめてみました👇
- 福島孝徳(脳神経外科医)の家族
- 福島孝徳(脳神経外科医)の妻
- 福島孝徳(脳神経外科医)の子供・娘
- 福島孝徳(脳神経外科医)の経歴プロフィール
- 福島孝徳(脳神経外科医)の学歴
福島孝徳さんに
ご興味のある方は
是非最後までご覧ください!
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福島孝徳(脳神経外科医)の家族(妻・子供)は?

福島孝徳医師は妻の法子さんと娘の梨沙さん
息子の徳仁さんの子供二人の4人家族です。
奥さんの法子さんとの出会いや
馴れ初めは分からなかったのですが、
年齢は2017年に還暦だったそうですので、
今年2024年で67歳になるのではと思われます。
10歳以上、年齢の離れた夫婦だったようです。
息子さんについての情報はほとんどなかったのですが、
娘の梨紗さんは父の孝徳さん同様、
医学部に進学し脳外科医を
目指していると昔、テレビで語っていました。
父の手術にも立ち会い、
立派な医師になるため精進していたという話を聞きます。
年齢等の情報もなかったのですが、
どうでしょう?30代なのでしょうか?
もし今後何か新しい情報ありましたら、
追記していきたいと思います。
福島孝徳の経歴プロフィール

- 福島孝徳(ふくしま たかのり)
- 死没 2024年3月19日(81歳没)
- 出身地 東京都渋谷区
- 職業 脳神経外科医師
- 活動期間 1968年 – 2024年
福島孝徳医師の趣味はドラム。
私は学生時代にジャズに凝っていて、
演奏していたそうですが、
それが手術でも役に立っていたと語っています。
福島
http://kokoro.kyoto-u.ac.jp/
実は私は学生時代にジャズに凝ってドラムを叩いていたので、それが役に立っているのかもしれません。
靴をはいていてはそんな細かい操作はできないので、白足袋をはくのです。
白足袋が一番いい。
ガラスも針も刺さらないし、自由に操作できるし、非常に神聖で、きれいで、こころが引き締まる。
でも、白足袋をはいて手術をするのは世界でも私だけでしょうね。
手術には常に足元は足袋で執刀していた福島孝徳医師。
顕微鏡を見ながら手を動かし、
同時に足元のペダルで顕微鏡のズーミング、フォーカシング、
電気メス、ドリル、超音波、ナビゲーションを
左右の足で操作しながらの手術方法。

「ゴッドハンド」と言われる真髄はドラム演奏で
習得したリズム感にもあったみたいですね。
福島孝徳の経歴は?

福島孝徳医師は1942年に、
明治神宮宮司の二男として生を受けます。
父の信義さんは明治神宮の宮司とともに、
明治記念館の館長も20年以上勤め、
戦後は空襲で焼失した明治神宮社殿の復興に尽力、
母は深川の富岡八幡宮の宮司の娘ということで、
神官の家に育ちました。

それにより手術には足袋を履き、明治神宮の方角に
一礼をしてからというルーティンが生まれたようです。
「私は土日も手術、夏休みも正月休みも一切とらない。
https://news.yahoo.co.jp/
手術前は、『一生懸命やりますから助けてください』と神様にお祈りします。
世のため人のために朝から晩まで働いていれば、必ず神様が見ていて助けてくれる。
明治神宮の神様は、心のよりどころであり、支えです」
兄と弟がいらっしゃいましたが、
両親と共にすでに逝去されています。
東京大学病院の内科医師である叔父に憧れ、
高校卒業後は東大医学部に入学。
1968年 から東京大学医学部附属病院 の
脳神経外科臨床・研究助手として働き始めます。
その後の略歴はこのようになっています。
- 1968年 – 東京大学医学部附属病院 脳神経外科臨床・研究助手
- 1973年 – ベルリン自由大学 Steglitzクリニック脳神経外科研究フェロー
- 1975年 – メイヨー・クリニック脳神経外科臨床・研究フェロー
- 1978年 – 東京大学医学部附属病院脳神経外科
- 1980年 – 三井記念病院脳神経外科部長 頭蓋底の鍵穴手術(キーホール・オペレーション)を確立
- 1991年 – 南カリフォルニア大学医療センター 脳神経外科教授
- 1994年 – ペンシルベニア医科大学アルゲーニ総合病院 脳神経外科教授、アルゲーニ脳神経研究所頭蓋底手術センター部長
- 1998年 – カロライナ頭蓋底手術センター所長 カロライナ脳神経研究所所長 カロライナ耳研究所共同所長
- 2007年 – 千葉県に塩田病院附属福島孝徳記念クリニックが開院
- 2012年 – 塩田病院附属福島孝徳記念病院の運営から離脱、福島孝徳脳神経センターは、東京都江戸川区の森山記念病院及び 神奈川県川崎市の新百合ヶ丘総合病院に移転。
- 2016年 – 森山記念病院から東京脳神経センター病院へ「福島孝徳脳神経センター」を移転させ、8月1日より脳神経外科手術患者を受け入れ、日本国内の拠点に。
- 2020年 – 福島孝徳と新百合ヶ丘総合病院の提携が終了し、新百合ヶ丘総合病院「福島記念 脳腫瘍・頭蓋底センター」を閉院。
- 2022年12月1日 – 神奈川県相模原市緑区下九沢に「脳神経外科 福島孝徳記念クリニック」 を開院。
福島医師は1978年に帰国後、頭部を大きく切開することなく、
数センチメートルほどの小さな穴から
顕微鏡を使い巧みに脳腫瘍を切除、
縫合する鍵穴手術(キーホール・オペレーション)の
確立に着手しました。
1985年に鍵穴手術を確立しますが、
日本での臨床では評価されず、
南カリフォルニア大学医療センターより
脳神経外科教授のオファーを受け渡米、
鍵穴手術を用いて多くの難手術を成功させ、
「神の手を持つ男」「ゴッドハンド」や
「侍ドクター」と呼ばれるようになります。

その後はアメリカ、日本のみならず世界中を回り、
難易度の高い脳腫瘍手術、診察を行っていきます。
土日、盆正月にも休みを取らす、
「1週間に8日働く」勢いで日々過ごされ、
座右の銘は「すべてを患者さんのために」。
救った患者数は20000万人以上と言われ、
一生涯を医師として全うした福島孝徳さんでした。
福島孝徳の学歴は?

福島孝徳医師の学歴は
小中学は分からなかったのですが、
高校からは都立戸山高~東京大学医学部です。
大学時代は学生運動が華やかなりし頃、
東大闘争で安田講堂が占拠された
1968年に東大医学部を卒業、
研修医になって5年間であらゆる脳外科手術を経験し、
脳生理学の研究にも取り組みました。
東大時代は学生運動などには目もくれず、
日々勉強、研鑽の日々だったのでしょうかね?
現在注目されている医師について
下記の記事でまとめてみました。
よろしければご覧ください。
福島孝徳(脳神経外科医)のまとめ

今回は「福島孝徳(脳神経外科医)の家族(妻・子供)は?経歴プロフィールや学歴まとめ」と題して調べてみました。
- 福島孝徳は妻と子供二人の4人家族
- 福島孝徳は明治神宮の宮司の家に生まれ、侍魂を磨く
- 脳神経外科医のスペシャリスト
- 学歴は都立戸山高~東京大学医学部
脳神経外科医の権威として世界中で診察、
手術を続けた福島孝徳さん。
長年の間、多くの方の命を救ってこられました。
福島孝徳医師のご冥福心よりお祈りいたします。
以上、「福島孝徳(脳神経外科医)の家族(妻・子供)は?経歴プロフィールや学歴まとめ」でした。
最後までご覧頂き誠にありがとうございました。
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