日本を代表する写真家で、60年以上にわたり
ジャンルの垣根を越えて活躍してきた
篠山紀信(しのやまきしん)さんが
他界されたというニュースが入ってきました。
ご冥福をお祈りいたします。
妻が元アイドルの南沙織さん、
息子はタレント・俳優として
活躍している篠山輝信(あきのぶ)さんという
芸能一家としても有名でした。
今回は生前の篠山紀信さんの
家族や経歴をまとめてみました👇
- 篠山紀信(写真家)の家族
- 篠山紀信(写真家)の妻
- 篠山紀信(写真家)の息子
- 篠山紀信(写真家)の代表作
- 篠山紀信(写真家)の学歴
- 篠山紀信(写真家)の経歴プロフィール
篠山紀信さんにご興味のある方は
是非最後までご覧ください。
こちらにも、もしご興味がありましたら👇
篠山紀信の妻(嫁)の南沙織の今現在は?若い頃【画像】は美人アイドル!
篠山紀信の家族は?
篠山紀信さんは奥さんと息子3人の5人家族です。
モデルの女性と離婚後、
アイドル歌手として人気があった
南沙織さんと1979年に結婚しました。
次男の篠山輝信さんはタレントとして、
テレビで活躍しています。
篠山紀信さんは、容体が急変し、
都内の病院に救急搬送され、
あの世に旅立たれました。
死因は明らかになっていませんが、
持病を抱えており、昨年2023年末の
少し前あたりから不調だったそうですが、
体調を崩すまでは、
元気だったと言われています。
あまりにも急な旅立ちで、
ご家族ももちろんですが、
篠山紀信さんご自身が
一番驚いているのではないでしょうか?
篠山紀信の妻は?
篠山紀信さんは2度の結婚歴があります。
モデルの女性と離婚後、
アイドル歌手の元祖と言われた
南沙織さんと結婚しています。
南沙織さんは沖縄出身、
沖縄が本土復帰した1972年の前年に上京、
デビューシングル「17才」が大ヒットとなり、
一気にトップアイドルに駆け上がりました。
「17才」は森高千里さんもカバー、
ヒットしましたね。
篠山紀信さんは南沙織さんのデビューの翌年から
レコードジャケットの写真などを撮り続け、
仕事相手から恋愛に発展、
1979年6月に結婚しました。
篠山紀信さんは38歳、
南沙織さんが24歳のときでした。
南沙織さんの結婚前の本名は「内間明美」、
1954年生まれです。
南沙織さんについては下記の記事でまとめています。
篠山紀信の息子は?
篠山紀信さんには
3人の息子さんがいらっしゃいます。
長男と三男は一般人ということで、
名前等公表されていませんが、
次男は俳優、タレントとして活躍している
篠山輝信(しのやまあきのぶ)さん。
- 篠山輝信(しのやまあきのぶ)
- 本名 篠山輝信
- 生年月日 1983年12月10日(40歳)
- 出身地 東京都
- 身長 167センチ
- 職業 俳優
- 学歴 玉川大学芸術学部
- 活動期間 2006年 –
- 事務所 スペースクラフト
兄弟との年齢差は兄が4歳上、
弟が2歳下です。
父からは兄弟の中で、
一番表現力があると言われ自信になったのだとか。
親譲りの大きな瞳が特徴な
篠山輝信さんですね。
篠山紀信の写真代表作は?
60年以上にわたりジャンルの垣根を越え、
数々の写真を撮り続けた篠山紀信さん。
三島由紀夫さんや
ジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫妻、
山口百恵さん等、
紹介しきれないほどの
多くの著名人の写真があります。
個人的に篠山紀信さんの代表作は?と思っているのは、
樋口可南子さんを撮影した
1991年の写真集「water fruit」と
同じ年に出た宮沢りえさんの「Santa Fe」ですね。
樋口可南子さんはヘアヌード、
宮沢りえさんはフルヌードと、
世の男性全てと言っても
過言ではないほどの注目を集めました。
宮沢りえさんは当時18歳、
人気絶頂の時の写真集ということで写真集としては
異例の155万部の売り上げを記録しました。
そしてジョン・レノンの
生前のラストアルバム
『ダブル・ファンタジー』のジャケット撮影も
篠山紀信さんの作品です。
人物写真の他にも、
都市、建築と撮影テーマの
多様さでも群を抜いた
巨匠の篠山紀信さんでした。
現在注目の写真家について下記の記事でまとめています。
よろしければご覧ください。
篠山紀信(写真家)wiki風プロフィール
- 篠山紀信(しのやま きしん)
- 本名 篠山紀信(しのやま みちのぶ)
- 死没 2024年1月4日(83歳没)
- 出身地 東京市淀橋区柏木(現:東京都新宿区北新宿)
- 職業 写真家
- 活動期間 1961年 –2024年
篠山紀信の経歴や学歴は?
篠山紀信の学歴は?
篠山紀信さんの学歴は
新宿区立淀橋第四小~芝中~芝高~日本大学芸術学部写真学科です。
日大に通いながら
東京綜合写真専門学校にも通っていたそうです。
その後、60年以上写真を
撮り続けてきた篠山紀信さん。
ご自分の写真については
「僕は60年ずっと、休みなく写真を撮り続けているし、
写真のタイプも表現方法もテクニックも、テーマごとで全部違う」
と語っています。
写真道を究めてきた篠山紀信さんですね。
篠山紀信の経歴は?
篠山紀信さんは
1940年に東京都新宿区にある
真言宗豊山派円照寺の
住職・篠山明信の次男として生を受けます。
特に写真が好きではありませんでしたが、
一般大学の受験に失敗したため、
衝動的に日本大学芸術学部写真学科に出願、
1959年に入学します。
在学中の61年に第1回APA賞を受賞、
68年からはフリーで活動を開始、
75年に雑誌「GORO」で
山口百恵さんを撮影したことから
端を発したシリーズ「激写」は大人気になり、
79年にはアイドル歌手の南沙織さんと
結婚したことも話題を呼びました。
80年代に入ると
「週刊朝日」の女子大生表紙シリーズ、
平成に入った90年代は樋口可南子「water fruit」、
宮沢りえ「Santa Fe」で
ヘアヌードが一気に社会現象となりました。
その後も人物、建築、都市と
あらゆるジャンルで新しい表現に果敢に挑戦、
近年では2022年10月に、
8代目市川新之助が初舞台を踏む際の
演目のビジュアルを撮影、
精力的な活動を続けていた篠山紀信さんでした。
2024年他界された著名人、その関係者について
下記の記事でまとめてみました。
よろしければご覧ください。
篠山紀信(写真家)のまとめ
今回は「篠山紀信(写真家)の家族(妻・息子)や代表作は?経歴wikiや学歴まとめ」と題して調べてみました。
- 篠山紀信の家族は妻と子供3人の5人家族
- 妻は元アイドル歌手の南沙織
- 息子が3人いて、その一人は俳優の篠山輝信
- 篠山紀信は60年の写真家活動で、様々なジャンルで衝撃的な写真を発表した写真界の巨匠
- 篠山紀信の学歴は新宿区立淀橋第四小~芝中~芝高~日本大学芸術学部写真学科
長年写真家として活躍してきた
篠山紀信(しのやまきしん)さん。
数多くの素敵な写真を世に送り届けていただきました。
篠山紀信さんのご冥福心よりお祈りいたします。
以上、「篠山紀信(写真家)の家族(妻・息子)や代表作は?経歴wikiや学歴まとめ」でした。
最後までご覧頂き誠にありがとうございました。
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