若い頃から美貌と確かな演技力で人気、
品のある凛とした美しさを兼ねた
美人女優の山本陽子(やまもとようこ)さんが
亡くなったという
悲しいニュースが入ってきました。
ご冥福をお祈りいたします。
妖艶な色香で多くのファンを魅了した
山本陽子さん。
今回は生前の山本陽子さんの
家族や経歴・学歴をまとめてみました👇
- 山本陽子の家族
- 山本陽子の旦那
- 山本陽子の娘
- 山本陽子の息子
- 山本陽子の経歴プロフィール
- 山本陽子の学歴
山本陽子さんにご興味のある方は
是非最後までご覧ください!
2/23:事務所コメント等情報追記いたしました!詳細はこちらから!
山本陽子の家族は?
山本陽子さんは生涯独身を通され、
お一人で暮らしていたようです。
70歳を機に東京から熱海市に移住しており、
双子のように仲の良かった
実の姉が昨年春頃に逝去、
その後、気落ちすることも多かったそうですが、
仕事への意欲は衰えず、今月の2日には
「徹子の部屋」にテレビ出演もしていました。
20日に病気のため
静岡・熱海市内の病院で
あの世に旅立たれました。
突然の訃報でとても驚きましたが、
具体的な病気や病名は一切公表されていません。
今後何か新しい情報ありましたら
追記していきたいと思います。
【追記】事務所コメント全文
追記
山本陽子さんは帰宅直後に急変し急性心不全で
逝去されたと事務所が発表致しました。
葬儀は親族のみで執り行い、
後日お別れ会開催を検討しているそうです。
こちらが所属事務所のコメント全文です。
日頃からお世話になっております。
https://hochi.news/
突然ではございますが、令和6年2月20日、弊社所属女優、山本陽子が急逝しましたことをお知らせ申し上げます。
亡くなる数時間前まで一緒におり、いつもと変わらぬ様子で帰宅の途へついたので、所属事務所代表であり、家族でもある私自身いまだに信じられません。
死因は帰宅直後の急性心不全でした。
なお突然の出来事による対応に追われ、公式リリース前に不確定な情報がでたことで関係各所に多大なご迷惑をお掛けしましたことを心よりお詫び申し上げます。
今回このようなかたちで皆様へ突然の訃報をお知らせすることになったのは残念でなりません。
4月公演、アガサ・クリステイー原作の舞台「そして誰もいなくなった」の稽古を間近に控え、台本と向き合う日々でした。
やり遂げられなかったこと、共演者、公演関係者、観劇予定のお客様へご迷惑をお掛けすることになったことは大変申し訳なく思いますが、今頃本人は向こうで「こっちの話し方のほうがいいかしら?」などと役作りに励んでいることと思います。
常に傍らにいた私から見ても最期の瞬間まで自由に生きた幸せな人生でした。
家族として、所属事務所代表として、これまでの皆様からのご支援、ご声援に心より感謝を申し上げます。
なお、故人の遺志により、葬儀は親族のみで執り行わせていだだきますことお赦しください。知人・友人の多い故人でしたが、供花、香典、弔電等もご辞退申し上げます。
日をあらためてお別れ会を企画させていただければと思います。
また、これをもって所属事務所からの公式コメントとさせていただきますので、事務所、親族、CMスポンサーへの個別取材等はお控えいただきたく存じます。
株式会社三陽企画代表取締役 日塔謙太郎
山本陽子の結婚(旦那・子供)は?
山本陽子さんは結婚歴はなく、
生涯独身を通しました。
しかし美人女優ゆえに、
過去には交際を噂された方が
いらっしゃいました。
その中では元カレとして田宮二郎さん、
沖田浩之さんとの交際は
話題になりましたね。
田宮二郎さんとは
1973年のドラマ「白い影」で共演、
その後交際が噂されました。
当時、田宮二郎さん名義の部屋に
山本陽子が住んでいたことから
愛人説が流れたそうです。
沖田浩之さんとは1980年代半ばに
「年の差21歳」カップルと
いうことで熱愛が報じられました。
このお二人は共にご自身で
命を絶たれたということです。
その当時の山本陽子さんの心痛は
計り知れないものだったでしょうね。
そして山本陽子さんには子供はいません。
もし結婚して子供がいたら、
女優としてもプライベートにしても、
また違う「山本陽子」が
いたのかもしれませんが・・。
生涯を女優として全う、
仕事に全精力を傾けていたのでしょうね。
山本陽子の経歴プロフィール
- 山本陽子(やまもと ようこ)
- 本名 山本陽子
- 死没 2024年2月20日(81歳没)
- 出身地 東京都中野区
- ジャンル テレビ・映画・舞台
- 職業 女優
- 活動期間 1963年 – 2024年
- 事務所 三陽企画
山本陽子さんは東京・中野区出身。
高校を卒業後、
野村證券に勤めていましたが、
1963年に知人が日活に
山本さんの応募書類を送り、
合格し日活ニューフェースとして
芸能界入りします。
その頃、日活では浅丘ルリ子さんが人気絶頂、
吉永小百合、松原智恵子、和泉雅子が
「日活三人娘」として活躍し、
山本陽子さんは端役どまりでしたが、
高橋英樹さんの相手役として
64年の映画「抜き射ちの竜 拳銃の歌」で
本格デビューします。
その後映画からドラマ、舞台と活躍の場を広げ、
ドラマでは「七人の孫」などで
高視聴率女優として揺るぎない地位を確立、
舞台は71年に森光子さん主演の「放浪記」に初出演、
80年の「花埋み」で初主演し、
作家、故宇野千代さんの小説が原作の
「おはん」なども代表作で、
94年に菊田一夫演劇賞を受賞しました。
CMでは山本海苔店のCMキャラクターを長年務め、
2010年には42年という
専属タレント契約の世界最長記録として
ギネス認定されました。
和服が似合う女性として名を馳せた一方、
大の車好きとして有名、
生涯外車に乗り続け、
20代後半で憧れの赤のポルシェ911を所有、
日本人女性として初めてポルシェに乗る
第一号と話題になったことも。
麻雀が趣味で酒も好きだったそうで、
昭和の強い女性を体現した
美人女優・山本陽子さんでした。
山本陽子の学歴は?
山本陽子さんの学歴は
小中学はわからなかったのですが、
高校は国学院高校です。
戦時中の1945年に
一家であきる野市で疎開生活を送り、
終戦後国分寺市に
転居したということですから、
小中学校は
国分寺市近辺の学校が考えられます。
中学時代は演劇部に所属していたらしく、
その頃から俳優としての
才能はあったのかもしれませんね。
2024年他界された著名人、その関係者について
下記の記事でまとめてみました。
よろしければご覧ください。
山本陽子のまとめ
今回は「山本陽子の結婚・家族(旦那・子供)や経歴・学歴プロフィールまとめ」と題して調べてみました。
- 山本陽子に結婚歴はなく、生涯独身を通した
- 山本陽子に子供はいない
- 日活ニューフェースとしてデビュー、和服の似合い美人女優として活躍
- 最終学歴は国学院高
長年日本を代表する女優として活躍、
清楚な役も悪女役もこなす
演技派だった山本陽子さん。
映画、ドラマ、舞台と
私たちを楽しませていただきました。
山本陽子さんのご冥福を心よりお祈りいたします。
以上、「山本陽子の結婚・家族(旦那・子供)や経歴・学歴プロフィールまとめ」でした。
最後までご覧頂き誠にありがとうございました。
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