全ての建物は頑丈さと同時にデザインも必要です。
時代とともに日々進化しいくデザインの変化は
めざましいものがありますね。
バウハウスという言葉を一度は聞いたことがあると思います。
ということで、今回はこちらについて調べてみました👇
- バウハウスの特徴とは?
- バウハウスとはいったい何?
- バウハウス建築とは?
- バウハウス絵画とは?
- バウハウス家具とは?
- バウハウスが日本に与えた意味、影響は?
- 日本人がデザインしたバウハウス様式
興味のある方は是非最後までご覧ください!
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バウハウスの特徴とは?
バウハウスとはいったいなんでしょうか?
バウハウスとは1919年にドイツ・ワイマールに創立された、建築、絵画、工芸、写真など様々な芸術の総合的な教育を行う学校「バウハウス」のこと。
既成概念にとらわれない実験的な教育を行い、20世紀以降の芸術・建築史に大きな影響を与えました。
今ではその流れをくむものをバウハウスデザイン、バウハウス建築と呼ぶなど、理念そのものが広い意味で使われています。
引用:https://allabout.co.jp/
100年前頃、ドイツに出来たデザイン学校の名称だったんだ。
その流れのデザイン、建築を総じて今はバウハウスと言っているんですね。
■1907年
産業革命以降の粗悪品の大量生産に異議を唱えるイギリスのアーツ・アンド・クラフツ運動の影響を受け「ドイツ工作連盟」が誕生。
芸術と産業の融合をかかげ、機械化を推進しながらも産業製品の品質向上を目指します。
■1919年
「ワイマール大公工芸学校」と「ワイマール美術学校」が合併し「バウハウス」が誕生。ドイツ工作連盟のメンバーだった建築家ヴァルター・グロピウスが初代校長を務めました。
■1925年
デッサウに移転。1928年にハンネス・マイヤーが校長となり、次いで1930年にミース・ファン・デル・ローエが校長に就任。
■1932年
ベルリンに移転。■1933年
ナチスの弾圧により閉校。
バウハウスが存在していたのは1919年~1933年のわずか14年間。その後アメリカへ亡命した講師陣によってその理念は受け継がれ、日本や世界各地へ広がり現代建築・デザインの基礎となりました。
引用:https://allabout.co.jp/
学校設立から14年で閉校してしまったんだ。
わずかな期間ですが、その理念は世界中に広がり今も受け継がれている。
普遍的なデザインと言えますね。
バウハウスのデザイン
「形は機能に従う」という理念のもと、バウハウスでは見た目の美しさだけでなく機能性を追求したシンプルなデザインを追求。
コンクリートやガラス、金属などの新素材を積極的に取り入れた建築をはじめ、家具や生活雑貨、写真、フォント、グラフィックなど様々な分野で作品を生み出しました。
装飾が良しとされていた時代に、斬新なアイデアと活動でモダンデザインの基礎を築いたのです。
引用:https://allabout.co.jp/
シンプルで機能を優先するという合理的な近代デザイン。
その時代ではモダンで先鋭的だったのでしょう。
今も引き継がれる理由がわかりますね。
バウハウスの代表的なデザイン
バウハウスといえば建築、絵画、写真、家具ほか
たくさんのデザインがあります。
それぞれ見てみましょう。
バウハウス建築
デッサウのバウハウス校舎
世界遺産にも登録されているデッサウのバウハウス校舎。
ガラスのカーテンウォールで覆われたのが特徴。
バウハウス・ミュージアム・ワイマール
絵画や家具、ランプ、食器、玩具など
貴重な作品を展示する
バウハウス・ミュージアム・ワイマール
今でもよく見かける建物ですね。
よく考えたらバウハウス建築ってたくさんあります。
バウハウス絵画
ピエト・モンドリアン
ピエト・モンドリアンの赤、黄、青の
三原色で描かれた抽象画。
有名なデザインとしていろいろなところに使われています。
バウハウス家具
ソファや椅子のデザインいいですよね。
シンプルさがとても気持ちいいです。
バウハウスが日本に与えた意味、影響は?
1930年前後、多くの日本のデザイナー、建築家が
バウハウスを学ぶためにドイツに留学したそうです。
中でも桑沢デザイン研究所を設立した
桑沢洋子さんはとても熱心でした。
川喜田の学校の卒業生の中で、特によく知られているのは、ファッションデザイナーでデザインジャーナリストの桑沢洋子(1910~77)だろう。
桑沢は1954年、東京に専門学校「桑沢デザイン研究所」を創立した。
その直後に訪れたバウハウス初代校長だったワルター・グロピウスは、この研究所を「日本でバウハウスの思想を受け継ぐ学校」と呼んだ。
https://webronza.asahi.com/
この写真は2010年に東京・渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで
桑沢洋子生誕100年を記念して開催された「SO+ZO展」です。
桑沢さんがデザインした日常着や仕事着が展示されたのですが、
幾何学模様などバウハウスの影響が感じられますね。
日本人がデザインしたバウハウス様式
山形のバウハウス
これらの写真は随時見たことのある建物ばかりですよね。
一番下の写真は今も現存する山形で
1930年に建てられた木造3階建てのバウハウス建築です。
まさにその時代に、世界最先端のデザインによる建築が
日本の一地方都市につくられていたわけです。
どれだけバウハウスが日本に影響を与えていたかと
言える証しなのではないでしょうか?。
100年前から現代にいたるまで、
さまざまなデザインの基本になっているバウハウス。
もうすでに空気のように日本人の心と体にしみこんでいるのでは?
バウハウスのまとめ
今回はバウハウスの特徴?日本に影響与えた大きな意味とは?【新美の巨人たち 】と題して調べてみました。
- バウハウスはシンプルで機能を優先するという合理的な近代デザイン。
いまでも古びれず引き継がれています。 - 建築、絵画、家具とあらゆる所にバウハウスデザインを見ることが出来る現在の日本です。
たしかにバウハウス様式の建物ってあちこちで今だに眼にします。
それだけ日本の日常にとけこんでいるのではないでしょうか?
古き良きものを大切にして、
またそれを進化させていければよいですよね。
以上、バウハウスの特徴?日本に影響与えた大きな意味とは?【新美の巨人たち 】でした。
最後までご覧頂き誠にありがとうございました!!
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