作家、作詞家、そしてギャンブラーと
多彩な才能を持つ伊集院静さんが
他界されたというニュースが入ってきました。
若い頃から女性からの人気もすごく、
女優の夏目雅子さん、篠ひろ子さんと
ご結婚されていたのは有名でした。
そして元野球選手ということで、
野球知識も豊富でプロ野球関係者との
幅広い付き合いもあり、
大谷翔平論なども話題になった伊集院静さん。
ご冥福をお祈りいたします。
今回は生前の伊集院静さんの家族や
経歴をまとめてみました👇
- 伊集院静の家族
- 伊集院静の妻
- 伊集院静の息子
- 伊集院静の娘
- 伊集院静の学歴
- 伊集院静の経歴プロフィール
伊集院静さんにご興味のある方は
是非最後までご覧ください!
2024/3/19:伊集院静お別れ会情報追記いたしました。詳細はこちらから!
こちらにも、もしご興味がありましたら👇
伊集院静の妻(嫁)の篠ひろ子の今現在は?若い頃【画像】が美人!
伊集院静の家族は?
伊集院静さんは妻の篠ひろ子さんと
仙台市で二人暮らしをしていたようです。
2020年1月にくも膜下出血で倒れて
救急搬送された際には手術が成功し、
後遺症なども全くなく復帰し、
精力的に執筆活動をしていたましたが、
今年2023年10月に肝内胆管がんとの診断を受け、
静養を発表していました。
診断を受けてからわずか1か月で
あの世に旅立たれた伊集院静さん。
闘病中は奥さんの篠ひろ子さんも
熱心な看病をしていたと思われますね。
篠ひろ子さんのコメントです
いつもお世話になっております皆様へ
https://hochi.news/
突然のご報告となりますが、11月24日伊集院静は永い旅に出てしまいました。
かねてより肝内胆管がんの治療をしておりましたが、残念ながら回復に至りませんでした。
自由きままに生きた人生でした。
人が好きで、きっと皆様に会いたかったはずですが、強がりを言って誰にも会わずに逝ってしまった主人のわがままをどうかお許しください。
最期まで自分の生き方を貫き通した人生でした。
私たちに寄り添って2人だけの時間を作って下さった皆様、そして応援してくださったファンの皆様に心より御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
西山博子
とても忙しく人生を送ってきたと
思われる伊集院静さん。
人生の最晩年に創作活動とは違う、
ある意味夫婦二人だけの幸せな時間を
過ごせたのではないでしょうか?
篠ひろ子さんについて下記の記事でまとめています。
伊集院静の妻は?
伊集院静さんは3度の結婚歴があります。
最初の結婚は会社員として
電通に勤めていた時に知り合った一般人の方で、
その間には子供が二人いますが1980年に離婚。
そして、2度目の結婚は
女優の夏目雅子さんと1984年に結婚、
長い不倫関係からの結婚ということで、
当時話題になりました。
しかし、結婚翌年の1985年9月に
急性骨髄性白血病で夏目雅子さんは逝去、
27歳の若さでした。
3度目の結婚が今の奥さんの
篠ひろ子さんと1992年に結婚、
これは夏目雅子さんの七回忌を待っての
入籍だったといわれています。
篠ひろ子さんは結婚後、
数年は女優活動を続けていましたが、
20年以上人前に姿を出していません。
これを見ると相当女性に
モテたと思われる伊集院静さん。
キザなセリフも嫌味に聞こえない
ダンディーさがあったと評判。
生まれ持っての感性が
女心をくすぐり続けたのでしょうね。
伊集院静の若い頃の子供は?
伊集院静さんには最初の結婚で
できた子供が二人います。
二人とも娘さんで、
長女の詳細はわからなかったのですが、
次女は女優の西山繭子(にしやままゆこ)さんです。
西山繭子のプロフィール
- 西山繭子
- 本名 西山繭子
- 生年月日 1978年1月21日(45歳)
- 出身地 東京都
- 身長 165センチ
- 職業 女優 作家
- 学歴 大妻中~大妻高~大妻女子大学文学部英文学科
- 活動期間 1997年 –
- 事務所 フラーム
西山さんが2歳の時の1980年に両親は離婚、
父親の伊集院静さんと暮らした記憶はなく、
初めて会ったのは中学に合格した13歳の時、
女優を始めたきっかけは芸能界に入れば
父親に会えると思ったからだそうです。
伊集院静さんにも似ていて綺麗な方ですね。
作家活動もしているということで、やはり血は争えませんね。
伊集院静のプロフィール
- 伊集院静(いじゅういんしずか)
- 本名 西山 忠来(にしやまただき)
- 死没 2023年11月24日(73歳没)
- 出身地 山口県防府市
- 職業 作家 作詞家
- 活動期間 1981年 –2023年
伊集院静さん1950年山口県生まれの在日韓国人2世。
出生当時の氏名は
「趙 忠來」(チョ・チュンレ)でしたが、
日本に帰化した際、西山忠来に変更しました。
伊集院静は作家としてのペンネーム。
作詞家としての筆名は
伊達 歩(だてあゆみ)として活動していました。
伊集院静の経歴や学歴は?
伊集院静の学歴は?
伊集院静さんの学歴は
山口県立防府高~立教大学文学部日本文学科です。
野球をしていた伊集院静さんは最初、
美術大学に進学つもりだったのですが、
高校の夏休みを利用して義兄の
当時読売ジャイアンツの投手をしていた
高橋明さんに会いに行った際、
長嶋茂雄さんに遭遇、本人から
「野球をするのなら立教に行きなさい」と言われ、
その一言で立教大学に進学を
決めたという話があります。
入学後、野球部の寮に行く際、
文学全集を持ち込んで入寮したため、
変わった新入部員として注目の的になったそうです。
伊集院静さんらしいエピソードですね。
伊集院静の経歴は?
伊集院静さんは1950年に
山口県防府市で生まれました。
高校球児で大学は立教大学に進学、
野球部に所属しますが、
2年生の時に肘を壊したため途中で退部しました。
こちらの写真は東京6大学野球春季新人戦準決勝に
出場していた伊集院静さんです。
野球部の同期には巨人軍に
ドラフト1位で入団した横山忠夫さんがいました。
大学卒業後は広告代理店電通勤務を経て
CMディレクターになり、
松原みき、松任谷由実、松田聖子、
薬師丸ひろ子、和田アキ子らのツアー演出のほか
ファッションショーも手がけます。
そして1981年、『小説現代』に
『皐月』を発表し作家デビュー。
代表作に『機関車先生』、『海峡』三部作等があり、
1992年7月、『受け月』で直木賞を受賞しました。
ほかにも伊達歩の名で作詞家としても活動、
作品には近藤真彦さんの
『ギンギラギンにさりげなく』、『愚か者』、
KinKi Kids「やめないで、PURE」などがあります。
野球にも造詣が深く、
巨人やヤンキースなどでプレーした
松井秀喜氏らと親交がありました。
趣味は野球観戦、麻雀、競馬、競輪、
ボクシング、美術鑑賞、ゴルフ。
競輪と麻雀を中心にギャンブルにも造詣が深く、
競馬騎手の武豊さんは、伊集院静さんに
大津びわこ競輪場に連れて行ってもらったことが
自身が競輪にハマるきっかけに
なったことを語っていました。
2016年には紫綬褒章を受章、
2020年1月にくも膜下出血で倒れて
病院に救急搬送されますが、手術を受け回復、
その後も精力的に執筆活動を続けますが、
2023年10月、肝内胆管がんとの診断を受け、
治療と静養のため執筆活動を休止を表明、
早期の復帰が望まれる中、
その約1か月後の11月24日に
あの世に旅立たれました。
【追記】伊集院静お別れ会開催
追記
伊集院静さんのお別れ会が3月18日、
東京都千代田区の東京会館で営まれました。
妻の篠ひろ子さんも追悼の言葉を述べました。
伊集院さんが
「お別れの会をやるのは勝手だが、
家族に迷惑をかけるな」と
メモを残していたことや、病院嫌いで、
「病院に行ってと言うと、
『おまえが行け』と言われた」と
いうエピソードを披露、
そして「肝心な時に、肝心なところで優しさがあった。
私たちとは違う道を歩いているようなところがあった」と故人をしのび、
最後に「一生懸命生きて、
今度は私があなたに会いに行きます」と語りかけました。
ほかにも和田アキ子さん、作家の桐野夏生さん、
騎手の武豊さんなどが思い出を語り
文学、出版関係者や芸能、
スポーツなどの関係者まで、
約400人が伊集院静さんとの別れを惜しみました。
2023年他界された著名人、その関係者について
下記の記事でまとめてみました。
よろしければご覧ください。
伊集院静のまとめ
今回は「伊集院静の妻(嫁)は篠ひろ子?若い頃の子供は?学歴や経歴プロフィールまとめ」と題して調べてみました。
- 伊集院静は3回の結婚歴があり、夏目雅子は2度目の結婚の妻
- 現在の妻は女優の篠ひろ子
- 娘が二人いて、その一人は女優の西山繭子
- 電通勤務ののち作家デビュー、直木賞作家としての顔のほか、作詞家として伊達歩の名で活動
- 伊集院静の学歴は山口県立防府高~立教大学文学部日本文学科
作家、作詞家として活躍してきた伊集院静さん。
素敵な作品を世に送り届けていただきました。
伊集院静さんのご冥福心よりお祈りいたします。
以上、「伊集院静の妻(嫁)は篠ひろ子?若い頃の子供は?学歴や経歴プロフィールまとめ」でした。
最後までご覧頂き誠にありがとうございました。
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