こんにちはロケパンです!
日本を代表する大スター高倉健さんがあの世に旅立ったのは2014年、それから10年近くの月日が経ちました。
高倉健さんの晩年を養女として、共に生活をしていたのが小田貴月(おだたか)さん。
元女優で芸能界で活動していた時期もありました。
実は養女ではなく、実際はパートナー、内縁の妻だったらしいです。
養女になった理由や莫大な遺産はどうなったのでしょうか?
ということで、今回はこちらについて調べてみました👇
- 高倉健の内縁妻(嫁)の小田貴月の経歴プロフィール
- 高倉健と小田貴月の出会いや馴れ初め
- 高倉健の内縁妻(嫁)の小田貴月が養女になった理由
- 高倉健の遺産相続
高倉健さんと小田貴月さんに興味のある方は是非最後までご覧ください!!
高倉健の内縁妻(嫁)の小田貴月のプロフィール

- 小田貴月(おだ たか)
- 本名 小田貴
- 旧姓 河野貴
- 生年月日 1964年11月3日(59歳)
- 出身地 東京都板橋区
- 身長 163cm
- 学歴 千代田女学園高~千代田学園短大中退
- 職業 元女優タレント ライター テレビディレクター
- 所属 高倉プロモーション代表取締役
小田貴月の経歴

小田貴月さんは東京都出身で女優、タレント、声優、ライターとして芸能界で活動していました。
高校時代に芸能事務所にスカウトされ、大学を中退して芸能界デビュー。
芸名は貴倉良子(たかくらりょうこ)。
字は違いますが、高倉健さんと同じ読み方の「貴倉」を芸名として名乗っています。
そのころはお互い二人面識はないでしょうが、何か縁を感じますね。
テレビドラマでは必殺仕事人、特捜最前線、水戸黄門等に出演歴があり、丸善石油(現:コスモ石油 )のイメージガールも務めていた時期もあります。


その後はホテルジャーナリストやテレビディレクター、ライターを仕事とし、その際の活動名義は本名の「河野貴」を使用。
小田貴月さんは、高倉健さんとの交際の前に離婚歴が2回あります。
最初の結婚は26歳の時、旦那さんはフランスのハーフの方だったようですが、1か月で離婚、2度目の結婚はNHKのディレクターと結ばれましたが、結婚生活は1年余りで終わりました。
高倉健と小田貴月の出会いや馴れ初めは?

高倉健さんと小田貴月さんの馴れ初めは1996年の3月。
小田貴月さんがフリーライターの仕事で香港のホテルを取材している時、たまたまそのホテルに訪れていた高倉健さんと食事のテーブルで初めて出会ったそうです。
その時は会釈程度で別れたのですが、その後、高倉健さんにその時のホテル取材の掲載誌を送付、高倉健さんからも、本人の著書やインタビューの掲載誌が送られてきて、それから手紙のやり取りから交際が始まりました。
高倉健さん65歳、小田貴月さん32歳の時ですね。
その後交際を深めた二人は恋人関係に発展、同棲を始めます。
一緒に暮らした年月は17年ということなので、1997年頃には同棲生活を始めていたとみられます。
同棲理由として小田貴月さんはこのように語って
(一緒に住もうという)高倉からの言葉はなかったです。なんでしょうか……高倉との関係は、周波数がピタリと合ったとでもいうのでしょうか。何を言わんとしているのか、私のなかにスッと入ってきました。
年齢も性差も超えた、魂のレベルで共鳴したのだと。いずれにしても言葉での説明は難しいです。「僕もいろいろな人と出会いました。でも、今は独りです」と高倉は言いました。
私は、それまで仕事で海外によく行きましたが、この時、今度は「“高倉健という旅”をしてみよう」と自然に思えたのです。顔が知られ、時に、そのことに疲れ果て、「仕事以外では目立たず過ごしたい」と切実に願う高倉の、自分は伴奏者、そして伴走者になれないだろうか、とも。
http://blog.livedoor.jp
そして2014年5月、出会ってから8年後に小田貴月さんは高倉健さんの妻ではなく、養女になります。
高倉健の内縁妻(嫁)の小田貴月が養女になった理由は?

小田貴月さんが高倉健さんの妻ではなく、養女になった一番の理由は「大スター・高倉健」の体面ということでしょう。
高倉健さんはいつも婚姻届に自分のサインをして用意、その決断は小田貴月さんに委ねていたそうです。
戸籍を考えるようになったのは、2012年に小田貴月さんの母親が倒れたのがきっかけでした。
親族でないものは医者から病状や今後の治療方針も聞けないという事がわかり、高倉健さんより年下の小田さんの母親が病気で倒れたのをきっかけに2014年5月に貴月さんを養女にします。
これは事実上の結婚ということになるわけですが、「妻」ではなく「養女」としたのは「大スター、高倉健結婚!」となると世間が大騒ぎするのを避ける為でした。
そしてその後、高倉健さんはガンに侵され2014年11月にあの世に旅立たれます。
小田貴月さんは24時間態勢で看病、高倉健さんは闘病中はだれとも会おうとせず、最後も貴月さん一人に看取られ天国に旅立たれました。
高倉健の遺産相続はどうなっている?

高倉健さんの遺産は総額40億円とも言われ、遺産相続は法律上、その全額を養子である小田貴月さんが相続したことになります。
しかし相続については養子の小田貴月さんと親族との間にトラブルはあったみたいですね。
高倉健さんには兄弟が3人いて、二人は他界して妹一人が唯一の親族になるのですが、その妹に養子である小田貴月さんの存在を生前告げていず、妹が兄の高倉健さんの死を知ったのは、死後二日後。
高倉健さんと親族の連絡係は生前、全てを会社の専務に委ねていたそうですが、その専務の不備があったのか詳しい事はわかりませんが、妹さんが養子である小田貴月さんの存在を知ったのは、死後半月経ってからだそうです。
そして、親族には知らせず小田貴月さん一人でこちらのこともやられました。
- 火葬場の密葬
- 生前、高倉さんが購入した墓地(鎌倉霊園で、高倉さんと前妻・江利チエミさんとの間の水子が祀られていた)を更地にした
- 高倉さんの遺骨を散骨
- 高倉さんの自宅(前妻・江利さんと住んでいた場所)を取り壊した(その跡地に小田さんは新築を建設)
- 高倉さんの愛車やクルーザーを処分
養子、親族、両方の心中は詳しくは察せられませんが、なかなか深いものがあるのはわかるような気がしますね。
高倉健と小田貴月のまとめ
今回は「高倉健の内縁妻(嫁)の小田貴月の経歴!出会いや馴れ初めは?養女の理由や遺産相続はどうなの?」と題した
- 小田貴月は昔、女優やライターをやっていた
- 高倉健と小田貴月の出会いは1996年の香港で、その後恋愛に発展、同棲生活を始める
- 小田貴月が妻ではなく養女になった理由は高倉健の体面のため
- 高倉健の遺産は養女の小田貴月が全て相続、親族とはトラブルがあった模様
現在、高倉プロモーション代表取締役を務める養女の小田貴月(おだたか)さん。
2023年3月に「高倉健、最後の季節(とき)」を出版、今後は高倉健さんが生前食していたものの料理本を出版する予定もあるそうです。
まだまだスーパースター高倉健さんの話題は尽きませんね。
以上、「高倉健の内縁妻(嫁)の小田貴月の経歴!出会いや馴れ初めは?養女の理由や遺産相続はどうなの?」でした。
最後までご覧頂き誠にありがとうございました。
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