1972年の札幌冬季五輪のスキージャンプで優勝し、
日本初の冬季五輪金メダリストとなった
笠谷幸生(かさや ゆきお)さんが
あの世に旅立たれたという
悲しいニュースが入ってきました。
ご冥福をお祈りいたします。
この札幌五輪では日本が表彰台を独占、
「日の丸飛行隊」と呼ばれ、
国民の熱狂の凄さが今でも語り継がれています。
今回は生前の笠谷幸生さんの
家族や経歴をまとめてみました👇
- 笠谷幸生(札幌オリンピック)の家族(妻・子供)
- 笠谷幸生(札幌オリンピック)プロフィール
- 笠谷幸生(札幌オリンピック)の経歴
- 笠谷幸生(札幌オリンピック)の学歴
笠谷幸生さんにご興味のある方は
是非最後までご覧ください!
笠谷幸生の家族(妻・子供)は?
笠谷幸生さんの妻や子供等の家族について、
Googleはもちろん、twitterや2ch、5chも
みたのですが情報は見つかりませんでした。
少なくとも、現時点ではネット上に
ほとんど情報は出ていないようです。
少ない情報の中で分かったのは
妻のお名前は則子(のりこ)さん。
出会いや馴れ初め、何人子供が
いるのかはわかりませんでしたが、
北海道スキー界、そして日本のジャンプ競技の
レジェンドの笠谷さんだけに、
お子さんがいるとしたら、
お子さんたちも北海道、スポーツに関係する
お仕事に就かれているかもしれませんね。
もし今後何か新しい情報わかりましたら、
追記していきたいと思います。
北海道に関する物事ついて下記の記事にまとめています。
よろしければご覧ください。
笠谷幸生の経歴プロフィール
- 笠谷幸生(かさや ゆきお)
- 死没 2024年4月23日(80歳没)
- 出身地 北海道後志支庁余市郡大江村(現:仁木町)
- 成績 札幌五輪金メダリスト
- 種目 スキージャンプ
笠谷幸生の経歴は?
笠谷幸生さんは1943年、
北海道の仁木町で生まれました。
兄もジャンプをやっていて、笠谷さんも
4歳の頃から遊びとしてジャンプを始めます。
高校生の頃から日本選手権に出場、
入賞するなどスキージャンパーとして注目をされ、
1963年、明治大学に入学、卒業後は
ニッカウヰスキーに入社、余市工場に
配属されながらジャンプ競技を続けます。
ニッカウヰスキーはNHK朝ドラ「マッサン」の
モデルとなった創業者である
竹鶴政孝の興したウイスキー会社。
竹鶴政孝氏はジャンプ競技を愛し、
自ら「竹鶴シャンツェ」という
ジャンプ台を余市町内に造り、
笠谷幸生さんを初め、
多くの名ジャンパーを生み出しました。
オリンピック出場は1964年インスブルック、
1968年グルノーブルと出場、
入賞は果たせませんでしたが、
札幌への試金石として、大きな経験を積み、
迎えた1972年札幌オリンピックでは
2万5千人で埋まった宮の森ジャンプ競技場で
ジャンプ70m級にて日本人初の
冬季五輪金メダルを獲得、
https://twitter.com/
銀の金野昭次、銅の青地清二と共に
日本勢で表彰台を独占し、
日の丸飛行隊と呼ばれ、
日本中を熱狂の渦に巻き込みました。
その後1976年に現役を引退、
コーチとして日本代表選手の育成に尽力、
1992年にニッカウヰスキー
東京本社広報部部長になり、
ジャンプ競技では国際審判員の資格も取って
ワールドカップ、オリンピック、
世界選手権などで審判を務めます。
1999年にニッカウヰスキー退社、
2001年全日本スキー連盟担当理事に就任、
2003年、紫綬褒章を受章、
2018年には文化功労者を顕彰しました。
https://www.hokkaido-np.co.jp/
しかし、2024年4月23日午前7時35分、
虚血性心疾患により、
あの世に旅立たれました。
笠谷幸生さん、80年の生涯でした。
笠谷幸生の学歴は?
笠谷幸生さんの学歴は
小学校はわからなかったのですが、
仁木中~余市高~明治大学経営学部です。
中学の頃から、大人のチームの合宿に参加、
お兄さんも実力のあるジャンパーで周りからは
「神童」と呼ばれていたそうですが、
笠谷幸生さんも
「仁木から(兄に続いて)再び神童が現れた」と
言われていたそうで、笠谷兄弟は
有名だったようですね。
札幌オリンピックで優勝した際の
金メダル、スキーセットは
それまで獲得したカップや賞状などとともに
故郷の仁木町に寄贈したそうです。
笠谷幸生さんの地元愛を
感じさせるエピソードですね。
2024年7月から始まる各競技の
パリオリンピック日本代表選手について
下記の記事でまとめています。
よろしければご覧ください。
笠谷幸生のまとめ
今回は「笠谷幸生の家族(妻・子供)は?経歴プロフィール・学歴まとめ【札幌オリンピック】」と題して調べてみました。
- 笠谷幸生の家族(妻・子供)の詳細は不明だが、奥さんの名前は則子さん
- 日本人初の冬季五輪金メダリスト、ジャンプ界のレジェンド
- 学歴は仁木中~余市高~明治大学経営学部
日本ジャンプ界のレジェンドと言われ、
その後も後輩選手達の育成に力を
注いでいた笠谷幸生さん。
その功績や指導はこれからも脈々と
受け継がれていくことと思われます。
笠谷幸生さんのご冥福心よりお祈りいたします。
以上、「笠谷幸生の家族(妻・子供)は?経歴プロフィール・学歴まとめ【札幌オリンピック】」でした。
最後までご覧頂き誠にありがとうございました。
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